繊維研究会のショーまでに密着した前編はこちら→前編1/2、前編2/2
穏やかな冬晴れの中、12月11日 東京・寺田倉庫にて早稲田大学繊維研究会によるファッションショー『いま・ここ』が行われた。
今回、繊維研究会が掲げたショーのテーマは「メディアによるイメージの差異について」。
私達と衣服の持つイメージ、そしてそれらを繋ぐメディアという関係性に目を向け、1年間に渡り、服の制作や演出を考えてきた。
私たちの生活の中で、切っても切り離す事の出来ない存在へと変化してきている”メディア”。それらは勿論、ファッションと私たちの間にも内在している。
例えば、各ブランドが発表したコレクションルックを消費者の多くが”1番最初”に目にするのは、”写真”や”動画”、”パンフレット”などの各情報伝達手段によって発表されたものであったり、最近ではネット上で写真だけを見て購入を決める衣服の売買も増え、衣服と私たちの関係はメディアを介して常に変化を続けている。
このように、メディアを介して衣服と向き合うという事は、私たちとメディアの間に生じる”時間差”やメディアを介して見るのでは衣服の一面を見る事しか出来ない点からも、衣服に対して私たちの持つイメージが実際に向き合う場合と比べ、良くも悪くも変化してしまう。
繊維研究会では、メディアが私たちの衣服に対するイメージを変質し得るという事を問題視し、その問題を”ファッションショー”という”私たちが生活している時間”と”メディア”との”時間差”がなくなる”一回性の空間”で観客に投げかけると共に、彼らなりに考え出した答えを提示した。
『いま・ここ』と題された今回のショーの演出は、タイトルにもあるように”時間(いま)”、そして”空間”(ここ)という2つの軸を主軸に構成されている。
会場に入り、まず目に入るのは入り口付近いっぱいの花々。
それらの花は、ただ美しさと華々しさを会場に彩る為だけに飾られているわけではない。この花々が、ショーの演出に深く関係している。
これらをよく見ると、ガラスの手前は”生花”、そして観客からは手の届かないガラスの向こう側にはドライフラワーが一面に飾られているのがわかる。
繊維研究会では、この”花の短き一生”を”時間の変化”として演出に取り入れた。
今、美しく咲き誇る花を”普段生活をしている時間”の象徴とし、ドライフラワーとなり枯れた状態の花が”未来の空間の時間”、そして”メディアによって切り取られた空間が過去となった時間”、要するに”現在からの変化後”を表している。
そして、それらを分け隔てるガラスが”メディア”を表現しており、それらの時間が決して交わらない事、メディアを通して覗く現実は常に過去である事、さらに私たちがいるこの空間こそが”今”である事を強調しているのだ。
また、花を使った演出はこれだけでは終わらない。
来場者がショーの前に事前に配布されるハンドアウト、その中に1つだけコレクションピースが掲載されたもの手渡される。コレクションピースを着用するモデルをよく見ると、彼女たちの手には”花の蕾”が握られている事がわかるのではないだろうか。
生花が”今”、ドライフラワーが”未来”を表すのと同じように、蕾では”過去”の姿を表現している。
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photo:Ikki Fukuda
しかし、写真のモデルが大きく膨らませた蕾を手にしているのは“ただ過去に撮られた写真”だからではない。
では、なぜモデルたちは蕾を手にしているのか。その理由は後々ショーの中でモデルの手元に注目する事でわかる。
そして、ハンドアウト自体にも隠された仕掛けが。
このハンドアウトには8種類のパターンがあり、来場者の座る席によって配布されるものが異なる。
さらに、この8種類は決してランダムに配布されたわけではない。これらは、来場者の座る席により、渡されるものが違うのだ。これらはショーの最後にその理由を知る事となる。
今回のショーは、演出の中で
”メディア”を通して衣服を見るという事は”衣服の一部分しか見る事が出来ない”
というデメリットな部分を、敢えて”ファッションショー”という全ての衣服を見る事が当たり前の空間で取り入れている。
これにより、ほぼ全てのルックを観客が確認する事は不可能となり、どのルックを纏ったモデルが自分の目の前に現れるかも観客は予測する事が出来ない。
それでは、せっかく作った服を見せる機会を繊維研究会は逃してしまうのと同時に、観客もせっかく足を運んだのに演出だからといってもあんまりではないか!?と思う方も多いだろう。
勿論、繊維がこの問題を解決する手段を用意しないはずがない。そこで登場するのが”メディア”である”ビデオ”だ。
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会場内の”ルックの全貌を確認する事の出来ない”どの席からも確認する事が出来る壁にプロジェクターでカウントダウンのような数字と今回のコレクションであろうと思われる写真が交互に映し出される。
しかし、そのカウントダウンの間にまた別の数字が映り込んだりする事から、様々な時間軸、そして写真というメディアが、ビデオというメディアの中に内在している事を私たちは感じ取る事が出来るのだ。
そして、ショーの5分前。完全予約制で招待された観客たちで会場がいっぱいになった頃、ランダムにたくさんの写真が流れ出し、その写真が動画になったと同時にショーがスタートした。
写真に代わり、壁に映し出されたのはショーの生中継のような映像。
会場の構造上、観客全員が出入り口から出てくるモデルの姿を確認出来ず、この中継のような映像からのみ確認をする事が出来る。これらは、モデルが登場する出入り口の目の前から映し出されており、彼女たちがスクリーンからフェードアウトすると、実際にモデルが観客の前に現れ、席によっては直接確認する事が可能であった。
そして、モデルたちは会場全体を自由に歩き回っているかのように見えるが、彼女たちの動ける空間はそれぞれ制限されている。これにより、どんなに彼女たちの登場を待とうと、人目も触れずに終わってしまう衣服もあるのだ。
このように、スクリーンと目の前のモデルを確認する事で、観客は初めてショーで発表される全てのルックを確認出来る。
こうして発表されるコレクションピースにも、数々の仕掛けが隠されているのが今回の魅力の一つ。
各コレクションは、もちろん別々の部員が作成したものではあるものの、それぞれの服が”リンク”するような関係性を持たされている。
例えば、同じ素材やプリントの生地を使用していたり、刺繍が施されていたり、リボンや小物が似通っていたりと、細かい部分に共通する部分が隠されているのだ。これらは、コレクション全体の統一感を図ると共に、ショーで見るからこそわかる服の細部や、同じもの使っているからこそ際立たせる事が出来る差異を表現している。
また、動画と連動して歩いているモデルたちの纏う服は、ハンドアウトで渡されたモデルが身に纏っている服ではあるが、ハンドアウトでは”蕾”だったものがショーの中では”生花”に変化している。また、同じく動画に映る彼女たちの手にも生花が。
ガラスの前に広がる花々同様、手に握られた花束が”今”という時間軸を表現すると同時に、その”今”の象徴が映像にも映っている事から、「今がメディアとの時間差がなくなっている瞬間だ」という事を訴えかけているように感じられた。
そしてショー中盤、会場はいきなり暗転する。プロジェクターによって映される映像の明かりのみが会場の中で光を発し、観客が一斉にプロジェクターから映し出される映像に目を向ける中、吸い込まれるかのような音楽にのせて、映像は今までのショーの逆再生を始めた。
これらが終わりまた暗転。真っ暗で、音楽も止まり、これから何が起こるのか全くわからない状況を切り開くように、突然カメラのフラッシュを意識させる光が瞬き、そこに照らし出されたのは3人のモデルだった。
その場所は、1枚目の写真のガラスの内側。つまり、変化後の空間。
前半とは変わり、後半ではこのガラスを通りモデルたちは”今”を過ごす私たちの元へと歩いて来る。
彼女たちの洋服を見てみると、どこかで見た事のある服が、組み合わさっている事で新しい1着へと変化しているのがわかる。
今回のコレクションにおける1番の大きな仕掛けは”衣服の変化”だ。
衣服が変化をする事で、変化前・変化後と衣服に時間軸を持たせる事が出来る。
また、ただ変化しているだけではない。
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例えば、この写真を見てわかるように、もともとは総柄のワンピース(画像4枚目)の上に窓枠の開いたワンピースを着る事で、その柄の1部分のみを覗く事が出来るのだ。
たくさんのドラマがあり、生活がある中で、どうしても1部分のみを切り取り、それが全てかのように見えてしまう”メディア”の特性を生かしたデザインになっている。
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さらに、このルックは最初”ケープ”として着用されていたものが、後半ではスカートへと変化する。
胸元に装飾されたリボンも、前半では長く風になびくようなデザインだったが、後半では縮められ、フリルのようなデザインに。
こちらも、メディアを通す事で思いもしなかった変化が生まれる事が見事に表現されていた。
このように、それぞれの時間軸を持たせた衣服(変化する服)にも“メディアによるイメージの差異”を意識した制作がされており、演出では衣服の持つ時間軸をより強調する為に花を用いて時間流れを可視化。
よって、感の良い方は想像がついたかもしれないが 後半ではモデルの持つ花束はドライフラワーへと変化している。
そして、前半同様スクリーンに映し出されている映像、そこに映るモデルが手にしているのは前半と変わらず生花。この事からわかるように、今まで流れていた映像は全て前撮りされた映像だったのだ。
写真・映像・テキストと、様々な時間軸を持つ複数のメディアをファッションショーという一回性の空間に関連づける事で、それぞれのメディアに内在する時間差を観客に意識させる仕組みとなっていた今回のショー。
最後、総勢27名のモデルが変化後の服を身に纏い観客の前で立ち止まる。
彼らの目の前に現れたモデルが纏っているコレクションピースは、ショーの前に渡されたハンドアウトに挟まれていたコレクションピースの変化後の姿。
上記にあった8種類のハンドアウトは、来場者がそれぞれ座る席により目の前に来るモデルの纏うコレクションピースの変化前が手渡される仕組みになっていたのだ。
来場者に、ハンドアウトにある”変化前の服”と目の前のモデルが纏う”変化後の服”を最後に自分の目でゆっくり見比べてもらう事で、今回のショーで1番伝えたかった事を、1番伝えたい形で来場者に伝える事でショーはお開きとなった。
ショーが終わると、会場内に「装飾の生花を自由に持ち帰ってください」とのアナウンスと共に、観客に配られたのはビニール袋。
袋には、今回のショーのロゴに使用されていたイラストが印刷されているのだが、よく見るとロゴには切り取り線や図形が描かれているのに、袋に印刷されているのは草花のイラストのみ。
草花のみが描かれた袋の中に、メディアを通さない”今”の象徴である”生花”を詰める事で、メディアが一切ない世界を袋の中に作り上げる事がで出来る。
さらに、その中に来場時に配られたハンドアウトや退場時に配布されたルック一覧を入れる事で、写真と文字というメディアが追加される。
でもそれらは、自らの目で見ている世界の中にある”メディア”でしかない。
これらをお土産にする事で、実際に観客にその世界を手に取ってもらえると同時に、普段の生活の中でもメディアによるイメージの差異についてを意識させる事が出来るのだ。
そして、このお土産にこそ 繊維研究会が考え、見つけた 今回のテーマの答えが隠されているように思う。
彼らはメディアを蔑もうとも擁護しようとも、そして、それらが人間にとって危惧を与えるものであるとも思っていない。
メディアはあくまで情報を伝達するための”手段の一つ”に過ぎないのだ。
しかし、これらに過度に頼る事によって、自分の目で確認する事が少なくなってきている人々や、操作するはずのメディアにいつの間にか踊らされてしまっている人がいる事も現実である。
メディアは確かに便利だが、1番大切なのは自分の目で見て、触って、聞いて確かめる事。この問題は人間が意識をする事で十分改善される。だからこそ”意識の継続”が大切で、そのためにも意識をする事の重要さに気づかなければならない。そして、人間がメディアと上手く付き合う事が大切なのだ。
この”意識”の重要さを気付かせるきっかけとなるのが今回の”ショー”であり、その意識を時に思い出しながら継続させるきっかけとなるのが、”お土産”だったのではないだろうか。
観客が美しい花々を真剣に選びながら袋に運ぶその姿は、自分の目で見て、触って、聞いて確かめる姿そのものであった。
例年、早稲田大学繊維研究会はただ服を見せるために”ショー”を行うのではなく、一般大生として社会の中から問題を見つけ出し、人々に問題を投げかける手段として”ショー”を行っている。それは、端から見れば内容も難しく、実際に今回のショーの全ての演出を1回のショーで理解する事は難しいだろう。
しかし、約1か月半 彼らがショーを作り上げる様子を見てきたからこそわかるが、彼らは全ての演出の意味を観客に理解してもらおうとは思っていない。
以前のインタビュー(記事はこちら:前半1.2)でも語られたように、例年からの経験としてその多くが理解されていない事を彼らは知っている。これを受け、彼らは今回のショーを練っていく上での活動理念の見直しを行なった。
そのため、『いま・ここ』では直接的で、且つ視覚的にもわかりやすい演出やコレクションピースの仕掛けに多くの人が”メディア”、”時間の変化”などのテーマとして設定されたキーワードを感じ取る事が出来たのではないだろうか。
勿論、直接的でわかりやすいという事が良いわけではない。今回は、それらのテーマが分かった上で、次の仕掛けが理解する事が出来、もしショーの中で気付く事が出来なかったとしても、お土産や後日公開となるショーの映像、レポート記事から理解する事が出来るようになっていた。そのため、来場者の中にメディア関係者が例年よりも多く見られたのが印象的だ。
より良いショーを目指し、常に前進を続ける繊維研究会。
これからも“ファッション”の可能性を提示し、それを私たちに共有してくれるだろう。
2017年、新体制となる彼らに これからも目が離せない。
ショーの動画はこちらから。
[kad_youtube url=”https://youtu.be/HJpiaSyaUG0″ ]
TOKYO FASHION FILM 「いま・ここ」早稲田大学繊維研究会 2017 S/S COLLECTIONhttp://www.tokyofashionfilm.com
text:Tomomi Abe
photo:Ikki Fukuda、Azu Sato、Tomomi Abe